胸椎12番脱臼破裂骨折〜現実〜

 

んにちは!

 

しょうたです!

 

今回は怪我の内容、入院生活、退院して今に至るまで

どのくらいの記事になるのかわかりませんが書こうと思います

 

なぜならば、

僕が当時不安でこの怪我についてネット検索をかけても

医学的な論文やお医者さんのホームページしか出てこず

それらのページを見てもリアリティを感じれず

 

自分の怪我についてどのようにしたらいいのか?

又、本当によくなるのか?

真っ暗な世界にいるような中で光が見えなくて

知り合いには元気で前向きな自分を演じて

 

毎日本当に不安だったので

今後もしこの記事にたどり着いたあなたには

 

少しでも励みになってもらいたいと思うし

又、恋人、友達がこうなってしまい

どうしようと思ってたどり着いたあなたに

少しでも僕は寄り添えたらと思い記録しようと思います

 

なるべく思ったままに、感じたままに記せたらと思ってます

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手術が終わって1日目、背中の痛みも感じないウォーターベッドの上で目が覚めて、看護師さんから今日がエイプリールフールだという事と新年号が「令和」になった話をされていた

だがしかし、手術で体力を使っているからなのか、麻酔のせいなのかわからないが、目覚めてすぐにはなんの話だったのか理解はできてなくて(そういえば怪我して壮絶な1日だったなぁ)と頭の中はぼーっとしていた。

 

横になることもできず、ただ上を向いているだけの寝たきり状態ではあったが膝を持ち上げる事はできた。だけど、とても重いものを持ち上げるように、筋肉を動かして膝を曲げていた。

怪我をして病院に搬送される時に「感覚があるなら、動くようになるから安心してね!」という言葉を思い出し、(ゆっくり回復していくものかぁ)と思いふけった後、今動かせる範囲で細かくどこがどう動くのか自分で確認していった。

 

両足ともにベッドから5センチくらいしか上がらず、キープもできない程著しい量の筋力低下。足を上げている雰囲気から感じる、筋肉か関節の著しい硬化と、どうやって筋肉を動かすのか意識をしてからでないと、思ったように動いてくれない、一応だが指が両足とも曲げる事が可能なのがベースに

そんな中でも、右足は割と無意識に近い状態で動かすことが出来たが、左足は特に膝から下が動かない訳ではないが、動くとも言えない状態でした。寝た状態で足を持ち上げると左の足首だけ持ち上がらず、

そこで初めて「不幸中の幸いで全体的に動いてくれてはいるけど、さすがに怪我の内容的に、どこか神経伝達が弱くなってもおかしくないか、、、」と思いました

落ち込みながらもそんな確認をし、多分2時間ほどぼーっと過ごしていたら、集中治療室から普通の入院部屋へ移動となった。この時、前日でも声を我慢できない程痛かったベッド移動の時が来た。

移動するときは、横向きになりベッドと身体の間に硬いフラットな板を挟ませて、一回その板の上でまた上向きになり、隣にあるベッドへ移る。移ったベッドでも、この作業を逆の手順でするのだが

手術後も背中は腫れているので、案の定とてつもない激痛…ウォーターベッドから移動用ベッド、移動用ベッドからこれから使うベッドへの二回耐えながら移動が済んだ。

 

歩けない為、血流を促すための機械

ベッド移動が落ち着いた頃に、朝目が覚めた時に時看護師さんが何を話していたのか理解をした。朝はぼーっとしていたみたい。

 

初めて感じる動かしにくい感覚ではあったがこの時はまだ、自分でした結果だからと思っていたので不安はあってもそこまで深刻に悩み込むことはなかった。

 

 

夕方前に従兄弟達家族まで、夕方頃お見舞いに来てくれたのだが、足を骨折したと勘違いして来ていて、怪我の内容を聞いて従兄弟の母親(以下叔母)が泣いてしまった。

なぜなら、訳あって叔母は同じ怪我で車椅子生活になってしまったからである。母親の妹なので、僕がこの怪我をするというのは僕の家族では又、違った思いれのある怪我であるため、多分普通の人とは違う心配をさせてしまった。だが、動くという不幸中の幸いには、皆安堵の表情でもあった。

 

この時の心境は、

軽い気持ちで大会に挑んだ訳ではないから、怪我をして迷惑をかけてしまった事に申し訳ない気持ちも反省もあるが、後悔はしていなかった。だがやはり動くから良かったもののこれからはどうしていこうかと、ここで考えさせられた。